

総務省 全国家計構造調査
食費 1962年 39.0 %
2019年 26.9 %
エンゲル係数は低下し、生活は向上。どのような向上であったのか?
昭和37年ころに比べ、現在は各段に美味しくなっている。
良いパン屋さんの味、フランス旅行をしても遜色がない。紅茶は英国で飲む方がコクがある。水の性質が違うらしい。しかしイギリス王室御用達の紅茶は容易に得られる。昭和37年ころは日東紅茶というのが主流で、イギリス製に比べると差があった。学校給食も援助物資(?)だったスキムミルク まずくてまずくて。当番でミルク缶をさげて給食室へ行くと、スキムミルクの粉の山からスパナとかボルトとか出てくるのを見た。食品ではなかったと思われる。当時は欠食児童といって十分に家で食べることができず体格貧弱な子がかなりいた。今は拒食症の子多し。
住居費 バウアー O.Bauer の定式に従うなら、総支出額が増えるにつれ、最初は住居費の支出割合は低下、そして一定または増大する。昭和37年 まだ焼け跡に建てたバラック建て と呼ばれる家もあった。郊外の団地は4階建 エスカレーターなし 3K だったかな。せまいけどみんな幸せそう。子だくさん。夏休みなぞ、親戚の家に泊まりに行く風習があったか、親戚の子、訪問した家の子も複数で ふとんが部屋中に敷かれていた。その後、マンションも戸建ても立派になってゆく。私の大学時代は1968
~72であるが、下宿は間借り。二階の屋根裏6帖とか。今はワンルームマンション。
被服費 はじめは増大するがある限度を越えると一定となるか減少。豊かとなった時代の事例。高校で火事があり、ひと教室焼失。ロッカーまで焼けて、そのクラスの子は体操服を失った。他のクラス、学年から援助。ひとりの卒業学年の女子が規定の体操服、
3着寄付。清潔感のある子と思っていたが、3着持っていた。私の世代からすると、ロッカーに体操服を置いておく、というのが違和感がある。1着しかない体操服を毎日持ち帰り、母が一生懸命洗ってくれた世代。ただ、私の時代もみんなが毎日洗っていたわけではなさそうで、私の体育の成績は5段階の2。「本来1であるが、体操服が清潔であるから2」とのことであった。3着体操服の子の家は裕福であろうが、さらに収入が増えても4着にはしなかった、とすればバウアーの定式通り。
「雑費のなかの文化教養費目の支出割合は常に増加。」バウアーはそう言うが、これも日本の数値からすると一定か。私の学生時代、「雑費」は注目されたが、謎であった。
目をひくのは交通・通信費。最近の家計の支出の大項目。昭和37年の家計調査の項目になっていない。 自転車、リヤカー、大八車が結構活躍。引っ越しも近所の人、友人が手伝ってくれていた。今は関東、関西、通勤に実質片道2時間というのも少なからず。スマホの通信費も安からず。
すべては平均的傾向。着倒れ、食い倒れ 少なからず。骨董品、競輪競馬で巨額を費やす人も必ずいるでしょう。美女との交際、5%に収まりましょうか?